ポスト資本主義社会

ドラッカー名著集8 ポスト資本主義社会 (ドラッカー名著集)
P・F・ドラッカー
ダイヤモンド社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 今、この本に記してあることが起こっている


本書では資本主義社会の次にくるものとして「知識社会」を紹介している。
※正確には、資本主義社会→ポスト資本主義社会→知識社会、らしい。

ようは知識そのものに価値がでて、お金 < 知識 という時代が来るらしい。
※これは自分の勝手な解釈。
これは
http://www.iot.ac.jp/manu/ueda/interview/j03.html
を参考にした。

ただ知識にも役に立つ知識、役に立たない知識がある。
そのあたりの見極めも重要。

ドラッカー本では「NPOの活動が最近注目されてきている。やがてNPOの活動の割合が増えるだろう」
的な記載がでてきているが、いまいち日本にすんでいるせいかピンとこない。
アメリカではNPOで働く事が日常的になっているらしいが、日本ではまだ日常的になっているとは思えない(少なくとも自分の周りでは)のも原因の一つか。

そういえば麻生さんってドラッカー本読んだ事あるのかなぁ?(あったとしても、適当に斜め読みしただけなんじゃないだろうか)とちょっと思った。
読書ブログ書いてて思ったのだけど、ど〜も自分は今チームで仕事している事もあり、組織論のあたりに非常に興味を引かれているみたい。

P45

彼(テイラー)の動機は、資本家と労働者が、生産性の向上に共通の利益を見出し知識の仕事への応用によって調和ある社会をつくる事だった。
今日のところ、この考えに最も近かったのはものは、第2次世界大戦後の日本の経営者と労働組合だけである。

日本ってそんなにすごかったの?と正直おもった。労働組合は個人的には足をひっぱるイメージしかないなぁ。

P46

テイラーの時代のアメリカで、・・・
労働組合は技能の独占体であって、しかもそこに入れるのは組合員の子弟と縁者だけだった。最初の5年から7年は子弟として扱われ、仕事の分析も体系的な訓練もなかった。書き写すことは許されず、青写真や設計図もなかった。秘密保持を義務づけられ、仕事について非組合委員と話す事を禁じられた。

アメリカの100年くらい前の話だけど、日本の一部職業の職人と呼ばれる人達のところもこんな感じじゃなかろうか?

P89

これからは、忠誠心を給与によって獲得することはできない。忠誠心は、知識労働者たる従業員に対し、業績と自己実現のための卓越した機会を提供することによってのみ獲得できる。

やはりお金だけでは人ついてこないよね。「自己実現のための卓越した機会を提供する」ってのが非常に気に入っている。
そんな会社あるのか?

P93

アメリカ、イギリス、その他ヨーロッパ諸国が行っているような製造業の伝統的な雇用の創出は一時しのぎにすぎず、おそらく事態を悪化させるためだけである。先進国にとって、成功を約束するただ一つの長期的視点に立つ政策は、製造業の基盤を肉体労働力から知識に転換する事である。

なんとなくはわかるんだが、具体的にはどうすればいいのだろうか?

P108 〜 P113

(1) 野球型チーム又は病院の手術チーム
 形としてチームをなしているが、全員が一体化して動く事はない
 反復的な仕事やルールが固定した仕事では、このチームが理想である。
(2) サッカー型チーム又はオーケストラ型チーム又は病院の救急チーム
 監督や指揮者が必要である。彼らの言葉が法となる。
 サッカー型チームは楽譜が明確であり、まとまりさえよければ野球型チームよりもはるかに柔軟であって、きわめて迅速に動く。
(3) テニスのダブルス型チーム
 あらゆるチームの中で最強である。
 各メンバーの強みを発揮させ弱みをカバーさせるがゆえに、このチームのメンバー一人一人の仕事ぶりの総計を超える仕事ぶりを発揮する。
 ただ実際にチームとして昨日するまでには、メンバーがかなりの長期にわたって、ともに働く経験が必要である。

うちのチームは、よく考えるとサッカー型チームだ。
ダブルス型になれるとよいな。

P114

知識労働とサービス労働の生産性向上にとって、最後の条件となるものが仕事への集中である。

集中させるにも、やはり楽しい&やりがいがある仕事をしてもらうのが一番。
モチベ大切。集中するから効率がよくなり、作業工数も短くなる。スケジュールや品質にかなり関わってくると思われ。

P115

雑事は、本来の仕事の生産性を破壊するだけでない。仕事への動機づけと誇りを台無しにする。
・・・
技術者についても、報告書、メモ、会議への出席などの雑事から解放する事によって同じ結果(生産性は倍増し、仕事の満足度も倍増している)を得ている。

雑事をやる事になると、本当にモチベーションが下がる。
大切な事もあるかもしれないが、技術者については本来の仕事に集中させるべき。

P140

技術者全員が組織全体の仕事に責任を持つ一つのチームとなっている。

P141

従業員の一番下の階層の人達に対しても、目標、貢献、チーム全体の仕事ぶりについて責任を要求している。その結果、大幅な生産性の向上を実現している。
彼ら働く人間が、他の誰よりも自らの仕事を知っている。そして、責任を負わされることによって、事実彼らは責任ある人間として行動する。われわれが論ずべきは責任と貢献である。責任なき権力は力ではない。責任なき権力は無責任である。
目指すべきは、組織に働く者全員を責任ある存在にすることである。我々が問うべきは「いかなる資格を持つか」ではない。「いかなる責任をもつか」である。知識組織におけるマネジメントの仕事は、全員をボスにすることではない。全員を貢献者にすることである。

いまチームで仕事をしているけど、非常に印象深い記載だった。
それぞれが責任を持つようにし全員を貢献者にするには、どのようにすればよいのだろうか?

P212

日本では、1980年代半ばのドル下落による短期的な輸出減に対処するために、国内消費を刺激したとたん、株価と地下の投機的な暴騰の引き金を引いた。その結果、生まれたのがバブルだった。そして1991年と92年に、このバブルがはじけた。

ドラッカーの言うところの「経済の天候」を支配しようとして失敗した例

同じくP212

財政政策の正しい目的は、知識と人材、生産設備、インフラに対する投資の奨励である。
これこそ過去半世紀の日本とドイツ、さらには韓国、香港、シンガポール、台湾というアジアの4匹の竜の成功の秘訣だった。これらの諸国は、経済の気候を作り出すことを重視した政策を堅持し、経済の天候を無視したからこそ成功した。

こちらは「経済の気候」。
「経済の天候」:直接的
「経済の気候」:間接的
というところだろうか。

P215

政府は社会サービスの領域においては、自らが実行者、管理者になることをやめ、政策形成者に徹すべきだということである。

P216

過去40年間、政府自らが実行者となって社会的な問題を解決しようとしたアメリカの政府プログラムのうち、意味ある成果を生み出したものは一つもない。これに対しNPOは目覚ましい成果をもたらしている。

「政府は生産性よりも、規則や規制を優先せざるをえない」とドラッカーがいっている。
そのために政府系のプログラムは駄目なんだろう。
なんか、どこかの大企業もおんなじような気がするが。。。

P249

我々にとっての問題は、技術そのものではない。技術を何のために使うかである。

ちょっと解釈が違うかもしれないのと個人に当てはめてみると、最近これ非常にそう思う。
昔はがむしゃらに何か技術覚えようと思ったけど、最近は
何かやりたい事があって、そのためにその技術を学ぶ
という考え方に変わってきた。

P250

本来教師の果たすべき役割は教える事であって、動機づけし、指示し、激励することである。

近くにこんな教師がいたらいいなぁ。

P253

最も、エリート主義的な学校を有する日本が、最も平等な社会をつくりだしている。

最近日本では格差社会、格差社会と騒がれているが、世界はもっとひどい?
でもがんばってる人と、がんばってない人もまったく平等な世界ってのも嫌だよね。

P253

知識社会においては、継続学習の方法を身につけておかなければならない。内容そのものよりも継続学習の能力や意欲の方が大切である。ポスト資本主義社会では、継続学習が欠かせない。学習の習慣が不可欠である。

改めて継続学習の大切さを認識した。

P255

すでに上手に行える事を、さらに上手に行えるようになることである。それは強みに基づく。

そういえば、サッカー日本代表の中澤も、岡田監督から似たような事言われたらしい。
強みがのびてくと、自然に他の部分も伸びてくんだとかなんとか。

P274

我々は専門知識のそれぞれについて精通する必要はないが、それが「何についてのものか」「何をしようとするものか」「中心的な関心事は何か」「中心的な理論は何か」「どのような新しい洞察を与えてくれるか」「それについて知られていないことは何か」「問題や課題は何か」を知らなければいけない

これらがわかったら、それぞれの専門知識に精通しているのと同じなのでは?と思う件について。